会社概要
History
 
『 ご挨拶 』
井賀屋酒造場では「自然に寄り添い、自然の働きを最大限に引き出す酒造り」を基本方針としています。
古い伝統を受け継ぎながらも、論理的なデータに裏付けされた新しい技術を取り入れる『温故知新』を大切にしています。

日本酒は環境の影響を受けやすく、最も一番変化しやすいアルコール飲料と考えており、商品として完成した後の保存状態も非常に重要です。その為、当蔵ではお客様に美味しい状態でお飲みいただけるように貯蔵、流通にも気を配り、努力し続けております。酒蔵の味をそのままに、品質管理のできるお店にのみ卸す方針を貫いています。

『 会社概要 』
会社名株式会社 井賀屋酒造場
創業年嘉永6年 1853年
代表者小古井 宗一
所在地〒383-0013 長野県中野市大字中野1597
電話番号0269-22-3064
FAX番号0269-22-3705
Home Pagehttps://igayasyuzou.com/
メールアドレスinfo@igayasyuzou.com
事業内容日本酒の醸造・販売

『 蔵の歴史と経緯 』
江戸時代前期、現在の長野県中野市には、中野・西条・新野・金井に天領(幕府領)の陣屋が置かれていました。
享保9年(1724)までに中野陣屋に統合され、中野陣屋は5万石余の天領を支配する信州随一の陣屋となります。
慶応4年3月(1868)王政復古の大号令のもと、尾州御取締中野御役所となり、同年8月に伊那県が創設されると、伊那県中野分局となります。
明治3年10月(1870)中野県が分置され、現在の長野県庁の前身である中野県庁となります。
明治3年12月19日から20日にかけ、「中野騒動」いわゆる世直し一揆が発生し、中野県庁やその周辺の特権的豪農商や陣屋時代の取締役の家等が襲撃され、500軒余が焼失します。 当蔵も被害に会い、現在の蔵の所在地に移動します。

「中野騒動」により、古い資料の多くを焼失したため正確な創業の年代や蔵元の代数は不明です。
しかし、嘉永6年(1853)には酒造業が行われており、家の代数も6代前までは判明しています。
一方で、蔵に残る石灯篭には文政12年(1825)と刻まれており、「井賀屋」という屋号はかなり古くから続いていたと思われます。 当時、酒造業の権利は売買されており、その際に屋号も併せて売買されることも有り、「井賀屋」という屋号は様々な家によって引き継がれてきた屋号です。
明治34年(1901)に現在の小古井家が屋号を引き継ぎます。

当時の蔵元、小古井諦造が良い酒を造るための仕込み水を探し求めていたとき、生家「岩舟」で湧いていた清水を用いて酒を仕込んだところ、非常に美味しい酒が出来たことから「岩清水」が誕生し、現在に至ります。

『 SNS・掲載メディア 』
『 所在地 』
〒383-0013 長野県中野市大字中野1597
電話番号:0269-22-3064

『 公共交通機関でご来店の方 』

JR長野駅で長野電鉄に乗り換え、「信州中野」駅下車。
駅より1.0km 徒歩15分。
信州中野駅は長野電鉄の特急が停車します。

『 自動車でご来店の方 』

信州中野インターより県道29号線経由。
5.4km 約11分
ドライバーの方の試飲はお断りいたします。

『 MAP 』

大きな地図で 井賀屋酒造場を表示